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写真: 宮崎建築代表 宮崎直也

こんにちは、宮崎建築代表 宮崎直也です。

昭和53年生まれの41歳です。男子の平均寿命が81歳と言われていますから、人生の折り返しに入ったところでしょうか。

宮崎建築では、新築でもリフォームでも高断熱住宅とすることを基本としていますが、私は今、既存住宅の断熱リフォームに特に力を入れて取り組んでいます。

断熱リフォームとは、今住んでいる住宅を、リフォームするとき暖かく暮らせるよう高断熱化することをいいます。
新築はもちろんですが、リフォームでも高断熱住宅ができる時代になったのです。

私がなぜ高断熱住宅に取り組むようになったのか、なぜ、断熱リフォームをお奨めしたいのか、これからこのホームページを通してご紹介させて頂きます。

工業高校卒業、4年間の修業生活。

私は平成8年に新発田南高校の土木学科を卒業しました。

当時は土木業界の景気が良かったからか「公務員より確実な仕事」と教えられ、将来は土木の仕事に就くものと漠然と考えていました。

高校3年の夏休み、就職活動が始まる9月を前に、父親からアルバイトで家の手伝いをしないかと声を掛けられます。(当時は景気も良かったようでかなり忙しく、片付けや簡単な作業しかできない高校生の手でも借りたかったのでしょう。)

部活動(バドミントン)も終わり特にやることもなかったので手伝う事にしました。

父のもとを出入りする熟練大工さんに預けられ、手伝い作業員として夏休みの大半を過ごしました。

そんな日々の中で、毎日完成を楽しみにするご家族と一緒にお茶を囲みながら「ああしたい」「こうしたい」と要望を聞いたり、現場で一緒に寸法を決めたり、完成を喜んでくれるご家族の姿に触れて、「土木にはない世界だけど、自分にはこちらが向いているかもしれない」と、大工の道を考えるようになりました。

高校を卒業すると、新潟市(旧西川町)の重川材木店が主宰する大工育成学校「匠塾(たくみじゅく)」に入塾。4年間修業をさせて頂きました。

4年間は寮生活。実物件の現場と座学で、同世代の大工仲間とともに住宅1棟を建てる木材加工技術を学びました。

また身の回りの整理整頓や現場の清掃、施主さんに対するあいさつなど、大工としての礼儀作法を教わったことも貴重な経験でした。

私と同期で入塾した者は8人。同世代の仲間と切磋琢磨している中で向上心が芽生えました。

「アイツよりオレの方が仕事が早い!」とか、「もうアイツは○○の仕事を任せられたらしい…。」など、仕事を終え寮に戻るとそんな話で盛り上がることもあり、時に焦りや悔しさを感じながらも今思えば充実した楽しい時間でした。

同期の仲間とは現在でも公私ともに交流があり大切な財産となっています。

宮崎建築に戻り大工として。

平成12年、匠塾での修業を終え宮崎建築に戻り、父のもとで働き始めました。

新潟市と旧笹神村との地域性の差か、仕事の方法の違いなどで父としばしば衝突しました。現場には同世代の仲間もなく、戸惑うこともありましたが基本的には大工仕事が好きなので着々と仕事をこなしていました(実はこの期間がこの地域の家の構造を熟知するいい経験になった)。

当時は家業を継ぐという意識はほとんどなく、将来は大工技能を強みにする工務店で自分の腕を試したいという気持ちもありました。

しかし、自ら新築・リフォームの現場を担当し思い入れのあるお施主様も増え、メンテナンスなどに足を運ぶなかで、「ここで自分が辞めたら、家業は父の代で廃業になる。我々を選んでもらったこれまでのお施主さんに対して、それで本当にいいのかな…。」と次第に考えるようになりました。

その後大きな転機になったのは東日本大震災です。

同時に発生した原発事故などを受け、当たり前の暮らしがいかに脆く(もろく)、尊いものかを改めて実感。 これからは少ないエネルギーでもいかに快適に生活できる住まいを造るかを考える事が作り手である私たちの責任と気付きました。

若い頃はカンナやノミの切れ具合ばかり気になり、手刻みでする大胆な小屋組み架構の家づくりに憧れ、そんな現場に携わることに喜びを感じていました。

でも、お施主さんにとってそこにどれだけお金をかける価値があるのか…と、考えるようになりました。

もちろん今でもそういった仕事は好きですし憧れもあります。

しかし、それらは耐震、断熱などの基本性能を満たした後の話であると思っています。

震災の翌年、建設業許可の更新を機に宮崎建築の代表を引き継ぎ、新たな方向性として目指したのが「高断熱住宅」で、特にリフォームで高断熱にする「断熱改修」でした。

地域の家を暖かくすることが自分の使命。

耐震診断、耐震改修の技術は習得し、市の木造住宅診断士としても活動してきました。しかし、断熱リフォームは方法が分からずモヤモヤとしていました。

実際に断熱の事を勉強しようと、講習会に参加してもメーカー主催のものが多く「我が社の断熱材が1番!」自社宣伝みたいな内容も多いのです。

そんな中、新木造住宅技術研究協議会(新住協)という組織があることを知りました。

北海道発祥の断熱工法を全国に広める研究組織。
「これだ!」と思い入会、高断熱住宅の勉強を本格的に始めました。

東北北海道の同業工務店は既に多くの工事実績もあり、新築もリフォームも驚くほどの断熱技術を持っていました。

私は新住協が主催する技術研修会に参加し、施工現場も見せて貰いながら、何とかその人たちに追いつこうと各地を奔走、いまやっと先輩諸兄の一員に入れたかと思っています。

一言に「断熱リフォーム」といっても簡単ではありません。すでに建っている住宅を高断熱化するのですから新築で高断熱住宅を造るよりも難しい技術が要求されます。

幸い、私は地元の大工ですから、昔の家の構造を知っています。父の元で仕事をした何年かが大きく役立っていたのです。

古い家の構造を知らないで高断熱高気密の改修工事をすることはできません(街のリフォーム会社さんがこういう工事をしないのはそのためだという人がいます)。断熱リフォームは新築よりも複雑で精度の高い施工が要求されることもあるのです。また、予算の使い方も省エネや暖かさの理屈を知っているかいないかで大きく変わります。

建物仕様、建物方位、外気候、コストをもとに、シミュレーションによって設計仕様を決める世界。

10万円という予算を、天井断熱の厚みを増やすか、南面の窓性能を1ランク上げるか。同じ予算でも判断一つで建物性能が変わってしまいます。

断熱・耐震同時改修は通常のリフォームよりも難易度が高いと言えます。でも、だからこそ自分の仕事としてやってみたい、そう強く思ったのです。

新住協先輩の方々の断熱リフォーム事例をこれまで沢山見聞きすることができました。
私も早くやってみたいとそういう事例をじっと見つめる日々が続いていたのですが、2012年にそのチャンスを戴きました。それが「白根の家」です。

「白根の家」は築50年の住宅。

無断熱の土壁をはがして柱・床・天井間に充填断熱を施し、単板アルミサッシ窓を樹脂ペアガラス窓に交換。同時に耐震改修も施しました。

小さい頃から見慣れてきた地域の典型的な農家住宅を、新築同等の断熱性・耐震性とすることができました。

市や国の補助金を活用できたこともお施主様の満足に繋がりました。

寒さが厳しい2月の引き渡し。「温かく非常に快適」とお施主からもとても喜んで頂きました。
「古い家でも暖かくつくり直してやることが自分に与えられた使命」と感じた瞬間でした。

県内にもたくさんの工務店があります。
技術、設計、性能とも素晴らしく、私が目標とする工務店もあります。
新築であれば私たちのような工務店でなくても良いものが作れると思う事もあります。

しかし、断熱・耐震改修などの高度な技能が要求されるリフォームは地域の家のつくりを熟知した、私たちのような小さな工務店の強みが最大限発揮できる分野であると考えています。

「朝ストーブをつけても部屋がなかなか温まらない」
「朝起きるのが寒くてつらいことがある」
「足元が寒くて手足が冷たくなる」
「風の強い日は家の中でもスースーする」
「ストーブの前で席の奪い合いをすることがある」
「入浴中でも寒い日がある」

といった経験がおありの方。
これらのお悩みは全て断熱リフォームによって解決することが出来ます。

建替えなくても、暖かい家にすることができるのです!

私たちのホームページをご覧いただきありがとうございます。
少しでも高断熱住宅、そして断熱リフォームに興味を持っていただければ幸いです。

宮崎建築 宮崎直也

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